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高倉健と映画についての情報を発信します

高倉健と映画

高倉健・新人時代
高倉健・名優時代など
高倉健の映画その魅力に迫ります。

  

■高倉健・新人時代

1956年(昭和33)〜1963年(昭和38)この頃を私なりに「高倉健・新人時代」と名づけている、今の若者はご存知ないかも知れないが、当時の東映の大スターといえば片岡千恵蔵、市川歌右衛門、中村錦之助(後の萬屋錦之助)などがいた。
高倉健は大学卒業後、思ったような就職先がなく浪人(今で言うフリーター)をしていたが、1955年(昭和30年)に美空ひばりらが所属する新芸プロのマネージャーになるため、喫茶店で面接テストを受ける。
その際、幸運にも偶然その場にいた東映東京撮影所長で、プロデューサーのマキノ光雄にスカウトされ、東映に第2期ニューフェイスとして入社する。
翌1956年(昭和31年)高倉健は入社してすぐに映画『電光空手打ち』の主役に抜擢され、華々しくデビュー、それまで演技経験も皆無で、親族に有名人や映画関係者がいるわけでもない無名の新人の高倉健が、すぐに主役デビューすることは、まさに異例の大抜擢であった。
高倉健は、時代劇映画中心の東映では大スターとはいえず、片岡千恵蔵や美空ひばりの主演映画の脇役に出演しながらも、がむしゃらに映画にチャレンジして行った。

■高倉健・任侠時代

★昭和残侠伝〔第1作〕【予告編】★
1964年(昭和39)〜1970年(昭和45)この時代を「高倉健・任侠時代」と呼ぶ、1964年から始まる『日本侠客伝』シリーズ、1965年から始まる『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズに主演し、高倉健は一躍、日本で最も集客力のあるスーパースターとなる。
この時代高倉健は7年間で70本もの映画に出演している、実に年10本の映画に出演している計算である、それも、ほとんどが主演なのだ、いかに当時の健さんが「売れっ子だった」か想像が付くのではないでしょうか。
その上、その頃の高倉健主演映画は常に超満員だったというから驚嘆に値する。
また、「飲む・打つ・買う」の映画界の風潮にありながら、大スターという地位にも驕ることなく、ただひたすらに健さんはストイックに自らを厳しく律し、酒を飲まず、取り巻きを引き連れて街を遊び歩くわけでもなく筋力トレーニングを続けていたという。
高倉健は常々語っている「映画俳優とい者はお客さんにカッコイイと言って貰っての商売」だと、その健さん自身の美学を誰が何と言おうと貫きとおしたのである。
そんな自己管理力が備わっていたからこそ、80歳を目前にした現在もダンディーであり若々しさを保っている所以であろう。

■高倉健・模索時代

★幸福の黄色いハンカチ・予告編★
1971年(昭和46)〜1975年(昭和50)この時代は「高倉健・模索時代」と言わせていただきたい、あれほどまでに大衆に迎合された任侠映画にもやがて翳りが見え始め新たな活躍の場をハリウッド映画やテレビドラマ、CMなどにも出演の場を求めて行った時代であろう。
時代は映画からテレビへと移り変わっていった、またヴィデオの普及により、わざわざ映画館に行かなくても自宅の茶の間で映画が観れた、今でこそ、豪華で大画面、音響効果抜群の映画館があちらこちらに出現し、映画は映画でエンターテイメントとしてその価値が見直されてきている現状ではありますが、この時代の主流はやはりテレビだった。
それでも高倉健はこの5年間で23本の映画に出演しているが仁侠映画全盛だった頃から見れば半減している。
高倉健は1973年イランでのロケ映画「ゴルゴ13」翌、1973年ハリウッド映画でロバート・ミチャム・岸恵子等と「ザ・ヤクザ The Yakuza」などに出演、海外への進出も試みている。
また、「無宿」ではじめての勝新太郎との共演、「新幹線大爆破 」では新幹線に爆弾を仕掛けた犯人役という今までにあまりなかった役柄にも挑戦している。

■高倉健・名優時代

1976年(昭和51)〜・・・・、20年在籍した、東映を退社、「幸福の黄色いハンカチ」、「駅 STATION」に代表される作品等で、各映画祭の賞を総なめにし、任侠時代とはまた違った、新しい健さんの演技、魅力を誇示したこの時代を「高倉健・名優時代」と呼びたい。
この時代には名作、話題作が目白押しだ、1976年には「君よ噴怒の河を渉れ」77年には「八甲田山 」上記の「幸福の黄色いハンカチ」78年には「冬の華 」「野生の証明 」80年には「動乱」「遙かなる山の呼び声び声 」など枚挙にいとまない。
中でも、「冬の華 」は私が一番すきな映画である、池部良、田中邦衛、小林捻持、大滝秀治などに代表される、いわば「健さん組」の面々のオールスター出演で脇を固めている。
高倉健の渋い演技もさることながらクロードチアリの哀愁を帯びたギターの旋律も最高です。
また、「君よ噴怒の河を渉れ」は日中国交再開後、中国ではじめて上映された日本映画という事もあって中国で大ヒットした作品でもある。
今をトキメク中国を代表する映画監督である張 芸謀(チャン・イーモウ)監督が青年の頃、この映画を観てすっかり健さんファンになり、やがて2006年憧れの高倉健主演の日中合作映画「単騎、千里を走る 」を撮り長年の夢を果たした。
ちなみに2008年北京オリンピックの開閉会式を演出したのがこの張 芸謀(チャン・イーモウ)監督である。

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